2001.10.08
 京都市の動物園に行きました。子供(小学生以下)の入場料が無料で助かります。
 
2001.9.28
 型紙を売るということについて、時折、考えたりします。「型」(かた)は、勿論、同じものを幾つも作るためのものです。本来、伊勢型紙は着物に柄を同じように染めるための道具で、小紋柄の連続模様の着物を染めることもできますし、同じ柄の着物を何着、何十着と染めることができるのも型があるからです。
ただ、これって良いことなのかな、って疑問に思うこともあります。多くの人が、綺麗な柄の同じ着物を、それも、比較的安く(少なくとも、一着ずつ柄を描くよりは、染める手間が省けますから。)手に入れられるという面では、たしかに非常に役立つ道具なのです。しかし、他の人と全く同じものを人々が着たいと思わないとしたら。これは、着物でなく、Tシャツとか、また衣料以外のものでもありえることですよね。飛躍すれば、印刷で同じ本(言い換えれば、ある人の一つの考え方)を何万部も作ってしまう事なんかも同じ意味があるかもしれません。
 ユ○○ロのフリースのテレビCMをよく思い出すのですが、色のバリエーションは多いのですが、でもみな同じもの。その安い値段で暖かいフリースが手に入る魅力も大きいのですが、街中同じものを着た人々が歩いているのを想像させられました。私自身は結局、買ってしまった(家内が買ってきました。)のですが、部屋着になりました。工場かなにかの中をたくさんのフリースが吊り下げられて流れてくるあのテレビCMは、マイナス・イメージも生み出したのではないでしょうか。
 例えば、世界で一つしかない気に入ったデザインのTシャツの方が、街で同じものを着ている人に会うようなTシャツより、愛着を持ちますよね。
 先日、柿渋を買っていただいたお客様から、それを塗った瓢箪の写真をいただきました。見ていると、瓢箪はとても可愛らしいのですが、おそらく、この夏、何個か出来た瓢箪の形は様々で、同じものは絶対にないはずです。ちょっといびつで、できの悪い瓢箪も逆にそれが可愛かったりするでしょう。
 それでも型の優れた点もあります。自分がイメージしたデザインを染めるとき、予め型紙を作ることで、手で描くより失敗なく着色出来ます。その型紙で何十着染める事も出来ますが、一着だけにしておいたって良いのです。その生地が二度と手に入らない物だったりする場合、要するに、質の高いものを作る道具(前準備)として意義あるものになりえます。
 こんな事を言いながら、本来、道具であるはずの伊勢型紙を、額に入れたり、扇子にしたり、装飾品として販売しているのって、と考え出すともうちょっと手に負えなくなってしまいます。
 「日本の型紙」(繊研新聞社)という本(雑誌の季刊だったか薄い本です。)があるのですが、原料の美濃和紙作りから型地紙作り、型彫りの職人さんから小刀を研ぐ砥石の事まで取材されていて、型紙自体が素晴らしいものだと感じさせてくれます(当社も取材していただいているので宣伝みたいですが、この本はもう販売されていないようですし、繊研新聞社も在庫は持っていないとの事でした。)。写真が美しく撮られている事もあるのですが、そこで紹介される型紙は、それを彫っていった職人さんの美意識や苦労が感じられる魅力あるものでした。

 今日の日記は長くなってしまって、こんなところで終わりです。

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